2026年6月、厚生労働省から発表された数字に、衝撃を受けた。
2025年の日本人出生数は67万1,236人。前年より14,937人少なく、10年連続で過去最少を更新した。合計特殊出生率(TFR)は1.14と、これもまた過去最低を更新している。
1899年以降の統計が残る中でこれほど低い出生数は史上初めてのことだ。しかも、国の将来推計より17年も早いペースで少子化が進んでいると評価されている。
出生数に外国人の数を入れてごまかしているという話もあって。なんでそんなことをするのかとイライラしてしまう。仕事で本質を捉えていないデータなんか出したら、意味ないし注意されるのも当然ですよね?
子ども達の学校や幼稚園のクラス数をみても、毎年1クラス(20~30人)ずつ減っている。5年前は5クラスあった幼稚園が、今では3クラスにまで減っていた。また、市立の幼稚園の閉園も決まった。そこには今3人ほどしか園児がいないそう。これらの話を聞いて、少子化を肌で感じて焦燥感、恐怖を感じている。このままでは、日本がなくなってしまう。大げさでなく、現実味を帯びてきていると思う。
数字が示す少子化の深刻さ
少子化を語るときによく使われる「合計特殊出生率(TFR)」とは、一人の女性が生涯に産む子どもの数の平均を示す指標だ。人口を維持するために必要なTFRは2.06〜2.07とされている。日本は終戦直後には4.0を超えていたが、団塊世代が20代後半になった1975年に初めて2を割り込み、その後ずっと下がり続けてきた。そして2025年のTFRは1.14。
都道府県別に見ると、東京は3年連続で「1.0」を割り込み0.96。宮城・北海道も1.00で並ぶ。最も高い沖縄でも1.52と、全国的に厳しい状況だ。
また、自然減(死亡数-出生数)は89万9,845人と18年連続の減少で、減少数は過去最多を更新。総人口も前年同月比で53万人以上減少(2026年5月時点)している。
子どもの人口(15歳未満)は2025年12月時点で1,340万8,000人で、前年から36万3,000人(-2.64%)という急速な減少が続いている。
「結婚しない」だけじゃなくなってきた
これまで少子化の主因は「晩婚化」と「未婚化」だとされてきた。結婚数が減れば出生数も減る、という構造だ。
実際、婚姻数は長期的に減少傾向が続いており、2025年は48万9,119組と底ばいが続いている。日本は「婚外出産」に対する抵抗が文化的に強く、婚姻と出産がほぼセットになっているため、結婚数が増えなければ出生数も回復しにくい構造がある。
ただ、ここへきて新たな懸念が浮上している。ある研究者の分析によると「発生結婚出生数」(婚姻数に対する出生数の割合)が前年比3.2%減と落ち込み始めたという。これは出生数の減少率(2.1%減)より大きい。つまり、婚姻数がわずかに増えていても、結婚した夫婦が産む子どもの数も減り始めている可能性を示している。
「結婚しない」だけでなく、「結婚しても産まない・産めない」という層が広がり始めているとすれば、これまでの少子化対策の前提が揺らぐ。政府が年間11兆円超を子育て支援に充てていても出生数が減り続けているのは、問題の根が「子育て支援の不足」だけではない可能性を示唆している。
なぜ産まないのか、産めないのか
「産まない選択」の背景にある要因は複合的だ。
経済的な不安が大きいことは間違いない。教育費・住居費・食費の高騰の中で、子どもを育てることへの経済的ハードルは上がっている。特に若い世代は「将来の見通しが立たない」という感覚を持ちやすく、それが出産をためらわせる一因になっている。
キャリアとの両立の難しさも依然として深刻だ。女性が出産・育児でキャリアを中断せざるを得ない現実は、制度改革が進んでも完全には解消されていない。「産んだら損をする」という感覚が社会に根付いている限り、出生率の回復は難しい。
価値観の多様化もある。「結婚して子どもを持つ」ことが唯一の人生の形ではなくなり、一人でも充実した生活が送れる時代になった。それ自体は豊かさの一面でもある。
あとは通信手段の発達(電話やインターネット)によって多くの人との人間関係が近くなった半面、交際や結婚をしていなくてもネットを利用してすぐに反応をもらえたり、娯楽に興じることができたりするようになったことも関係していると私は思う。
そして最近増えているのが、「この社会・この国で子どもを産むのはかわいそう」という言説だ。将来の日本に希望が持てない、子どもが苦労するのを見たくない——そういう思いから「産まない選択」をする、という考え方。
「産まない方が優しい・賢い」という言葉について
ここで少し、個人の感想を書かせてほしい。
「この世に産み落とすのはかわいそう」という言葉を見るたびに、複雑な気持ちになる。気持ちはわかる。物価高も少子化も外国人問題も、未来への不安は山積みだ。情報があふれ、悪いニュースを検索すれば際限なく出てくる。
でも少し立ち止まると、「じゃあ、産まなければ何が良くなるのか?」という問いに突き当たる。産まないことで問題は解決するのか?
少子化が進むほど、社会保障の担い手が減る。労働力が不足する。地域が衰退する。子どもたちが大人になる頃の日本を「住みやすい場所」にしておくためには、今の世代が社会の再生産に関わることが不可欠だ。産むことも、産まないことも個人の選択だ。ただ「未来が怖いから産まない」という選択が社会全体に広がったとき、その未来は、誰が支えるのだろうと思う。
「子どもがかわいそう」という言葉の裏に、「自分が怖い」「しんどいのが嫌だ」という気持ちが混ざっていることもある。それは正直な感情だし、否定するつもりはない。でも、それを「倫理的な選択」のように包んで語ることには、少しだけ違和感がある。
困難があっても、子どもたちと一緒に「少し良い社会」を作っていこうとする姿勢が、大人としての責任の一つだと、私は思っている。
少子化は本当に「手遅れ」なのか
悲観的なデータが続く一方で、「まだやれることはある」という見方もある。
人口学の研究者の中には、「2024〜2026年が最後の勝負どころ」と指摘する声がある。現在27〜36歳(1990年前後生まれ)の世代は、それ以降の世代より人口がわずかに多く、この世代の出産行動が今後の趨勢を左右するというのだ。2027年以降に27歳を迎える世代はさらに人口が少ないため、少子化への下押し圧力が強まる可能性が高い。つまり、今がある意味で「最後のチャンス」にあたる時期だという見立てだ。
制度面でも少しずつ動きはある。育児休業の取得推進、保育所の整備、児童手当の拡充、高校授業料無償化など。これらが「すぐに出生率を上げる」わけではないが、環境を整える努力は続いている。
一方で、子育て支援費を年間11兆円以上かけても出生数が減り続けているという現実は、「支援の内容」もそうだが、「社会全体の空気」や「未来への希望の有無」が出生率に大きく影響しているのではないかという問いを突きつけてくる。お金の問題だけではない、ということだ。
なかでも社会全体の空気については、SNSで若者にあっという間に浸透してしまうので怖いものがある。SNSでみる情報が全て正しいとは限らない、いちインフルエンサーの考えだけにながされないように、自分で考えて生きていなかければいけないということを子どもたちに教えていかなければならないと思う。これは、ネット環境の目覚ましい発達速度に比べて、大人への情報リテラシー教育が普及していないので難しい状況ではあるなと感じている。
おわりに
67万人という数字を見てどう感じるか。悲しい、怖い、どうにかしたい——そういう感情は、社会への関心の裏返しだと思う。
私は子育てをしながら、この社会の行方を子どもたちと一緒に経験している当事者だ。「産まなければよかった」とは、これっぽっちも思っていない。毎日がたいへんでも、毎日が愛おしい。
子どもをもつことをメリットデメリットで語る人もいるが、子どもがいる生活はそんな物差しでは計れない。価値は目に見えるものだけではない。
目に見えない経験が生活や思考に深みや豊かさを与えてくれる。
それが人としての成長を促してくれる。
目に見える物にしか価値が無いだなんてさみしいことを言わずに、一歩踏み出してみて欲しいと個人的には思う。
せっかく人間に生まれたのだから。動物としても人間としても精一杯生きていきたい。
未来が暗いかどうかは、今を生きる私たちが決めることでもある。少なくとも、データを見て、考え、声を上げ続けることが、今の私にできることだと思っている。
参考:厚生労働省「人口動態統計(概数)」(2025年)、総務省「人口推計」(2026年5月)、nippon.com「縮むニッポン:2025年出生数67.1万人」(2026年6月)、Bloomberg「日本人出生数10年連続過去最少」(2026年6月)、こども家庭庁「少子化の背景」資料
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